東京も夜行バスも渋谷も朝マックも異常なほど巨大なカラスも全て数年ぶりで不思議と懐かしいような、でも私も私を取り巻く全てもあの頃から変わりすぎてしまって、それはそういうものだが、そういうものだ。

とりあえず気の向くまま銀座に出よう、そして上野でVOCA展を見ようなぜなら案の定ゲルハルト・リヒター展は終わっていたからそして「象」を観て帰る、たぶん

無事終了致しました。スタッフキャストをはじめ関係者の皆様方、ご来場頂いた皆様本当に有難うございました。

http://d.hatena.ne.jp/taku_ito/20100314とかhttp://d.hatena.ne.jp/maki-tempura/20100316とか色々観て胸が熱くなりました。有難うございました。

今年で演劇を始めて10年になります。評価はどうであれ、もう遣り残したことは無いと思います。不思議な感覚です。

皆様、本当に有難うございました。

ええと 暫く辞めてみようと改めて思ったのだった。「楽しみ」を感じられなくなってきたとか 最早周りの誰も何も心から信用出来なくなっている自分に気付いたのだった ただ、沢山のお世話になった方々ともう一度共に何かしたいという気持ちはありまして うまくいえないな― 私がいないほうがいいんだろうな、とも思います ともかく心底残念です。自分には。

去年のことを考え出すと今でも止まらなくなる。たくさんのもの失くして今生きてるのが不思議なくらい 相変わらず憎しみ恨みや妬みや被害妄想も本当に酷い。今それらの状態を引き起こす対象は明確だが反転する形でそのことにまた自己嫌悪が止まらなくなる。最近はアルコールも薬も後で虚しくなるだけになっている。知らず知らず追い詰められている自分を何とかしなければならない。此処まで必死にやり過してきたが限界を感じる。此の侭一方的に苦しめられるのは拷問のようだからだ。早く眠らなくてはいけないが眠れずひとまずこうやって書き出してみた

あなたは全て自分の所為にしすぎ、もっと人の所為にしていいといった人がいた 去年の話、今はもう音信普通の その人もう二度と逢うことも無いだろうその人 今も川沿いのあの家にいるのだろうか 元気にしているのかしら 思えば私は自分の全てを投げ出していたのだった 私は今でもその人のことを考える、思い出す よく思い出す思い出すのだ 私はいつも思い出すばかりだ思い出す方だ 思い出されることは誰にも無いが
へルタースケルターで吉川こずえは「わすれられるのがたのしみです」とかいってたな 

昨年をあったこととしても無かったことにするにしても苛立ちとか怒り憎しみとか虚しさとかぼんやりとどうしようもなく増え続けて疲弊していくいまの感じだ こんなにも他者に負の感情を向けることが出来る自分がいるのはかなしい発見だ 好き勝手こじ開けられて無茶苦茶に傷つけられた。だからか まだぼんやりとだが来年あたりでいろいろと一区切りつけられないかという方向で今は考えて いる

たまにはよくがんばってるとかいわれてみたい