France_pan/ジャン=アンリ・ファーブルの一生

「裸の劇場」という企画故というのもあるのだろう、全体の印象としてとても淡々としており空虚である。この作品はジャン=アンリ・ファーブルの一生では無くワタナベという一人の男性がいかになにもない、のか、空虚、であるかを作り手の意図はどうであれ描いているように思えた。関連づけることで意味を成す/成さないぎりぎりの不条理な心象風景(?)が(しかし手つきは決して重くならない、妙に笑える)積み重なっていく。ラスト近く、薄暗い中空転するミラー・ボールとボイス・パーカッションの中一人憑かれたように踊り続けるワタナベの姿には不思議な開放感と哀しみ、の様なものが漂っていたように感じた。美しいシーンだった。このシーンがこの作品の核ではないかとまで感じるほどだった。モノガタリの放棄。ぺらぺらの空虚。私はそれをどこか自分のものとして勝手に肯定したい不思議な思いに駆られる。