最後の日くらい、自分のことを少しだけ褒めてあげようと思った。よくここまで持った。

わたしは自分の存在に疑問を持つ人しか好きになれない、演劇部の3つ上の綺麗な先輩のことばを今更のように思い返し私は今ならようやくあのひとたちと対等に何かを話すことが出来るのかもしれないと思う。わたしは、わたしたちは何と子供であの人たちはなんと大人(年の割にはすべてを観てきたような瞳をもった)だったのかと思う。でもきっとわたしが彼らと出会うことはもう無いように思う。

お説教というものは−大声を張り上げての恫喝めいたそれは実に不条理で滑稽に聞こえてくるものだ。正論だからこそ尚更というか…もしくはどうしてそこまで出来るほど自分の実存にブレがないんだろう。 
生理的には無理だけど、きっと羨ましいんだ。来年も自分がまだ芝居続けてるかなんて自分にも誰にもわからないしそもそも生きているかすら誰が保証できるというんだろうか。明日も明後日もまだ自分の心臓が動いてるなんてどうやったら信じられるんだろうか

皆何事も無かったように忘れていくんだろうけど。何事も無かったように振舞うものなんでしょうけれど。
わたしだけは違うからな。

自分の身は自分で守らなきゃ。傷つけられたら全力で傷つけ返さなければならない