intimacy

  • 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
  • 去年は大小併せて6本の芝居に出た。様々な人たちと出会った。去年は何だったのだろう?やればやるほど大阪でエンゲキをやることが自分の中でどこか曖昧模糊としたものに成る感触がありその訳をぼーっと探り続けた年だったのかもしれない。目標は「続けること」なんて大人な考えに未だ至りきらないからその代替物を捻り出そうとしていたのだろうか。いや目標や夢とかの類の煌びやかな単語から基本的に一歩引きたいひとだから、しかしここでやっていくことにおいてビジョンのあまりの見えなさには辟易するしかなく(もしくはそのことに特に同世代が何を想うのか。本当に皆何を考えてるんだろうか?)時々立ち尽くすしかなかったというのが本音といえば本音だと。当然のこと、楽しいから、好きだからで出来た季節はもうとっくに終わっていて、で?という。まあそれは実は皆暗黙の了解なのだとしたらあほな私は去年やっとスタートラインに立てたのかもしれないよね、とも。
  • 当たり前、売れない小劇場の俳優なんて社会的に見たら本当にゴミなんである。生産も消費も碌にしない結婚もせず子供も作らず美しい国の発展には全く寄与しませんし親不孝。大阪なら尚更。そういった冷静でネガティヴな自覚は何処までも自分を滅入らせることが出来ます。しかしこれでよい訳がありません。そうやって気付けばそのまま自堕落な生活にずぶずぶと溺れていく己を叱咤し鼓舞するのは己のみ、つまりプライド持たなくちゃ駄目だよねという。劇団員であること以前に、俳優である以前に、演劇人である以前に、ひとりの表現者としての自覚とささやかな誇りを持たんとねと。自分(たち)のことばかり考えてちゃ駄目であるとそうなると。その視座を得たとき、様々な知識や教養や情報は身に付けたいもので。
  • そうなると嫌でも目に入ってくる大阪の寂寥にどう対峙する?自分の一挙手一投足がここを変えるとでも無理矢理思ってやるしかないじゃないのさと。ビジョンが見えないなら作る為に何でもいいから動きなよとか。C.T.T.大阪事務局に首突っ込んだ理由も後付けすればそんな感じなのかも。
  • I氏のブログからのリンクで読んだこれ(方針・目標 | 2011年6月22日以前の劇研アクターズラボ総合ブログ)も緩やかに背中を押してくれた気がする(I氏とは本当に色々話したっけ・・)。あと、これも。『いま、「俳優として成功する」の意味がテレビに出て、売れっ子になるだけになってしまったら酷くつまらない。(略)もっと別の価値があるから演劇がある。(略)「成功した俳優」の価値が一元化するなら、きっぱり、「失敗した俳優」に成れと言いたいわけです(宮沢章夫)』 とにかく色んな人に出会えて、良かった。
  • 去年末の日記をざっと書く。
  • 世界的な大不況、今年はきっと殺伐とした酷い年になりますよと。またこれから暗い時代が来る。自殺者も未だに年3万人超えてるんでしたか。武者震いがする。あの娘が誰に抱かれようが知ったこっちゃ無いと言いたい。何が寂寥だか。ジャンルの垣根を越え越境したい。鋼鉄の精神がほしい。